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MY STORY:自分の人生に色が戻る時

今、あなたの見えている世界はどんな色をしている?

子供の頃は毎日が楽しくて、何もかも新鮮で世界が色で溢れているように見えていた。

でも大きくなるにつれて、挫折を経験したり、人に裏切られたり、絶望や悲しみも味わうことになる。

そこから色とりどりの世界から一つずつ色が抜けていく。

「喪失感」という気持ち。

死別や流産を経験したり、仕事を失ったり、夢を諦めたり、大きな出来事から小さな出来事の繰り返しで私たちが見ている世界が少しずつ色が抜けていって、セピア色やモノトーンになっていく。

もう傷つきたくないから、守りに入ってしまっているのかもしれない。

神様に出会うまでの自分は少なくともそうだった。

イエスを受け入れた時、

「まだ完全に信じきれていないけど、信じてみよう。一歩を踏み出してみよう。」

そういう気持ちだった。

でも、イエスを受け入れる祈りをして、聖書を読んで一つ一つ実践していくたびに、モノトーンだった自分の人生に一つずつ神様が色を足してくれた。

(使徒9:18)するとただちに、サウロの目からうろこのような物が落ちて、目が見えるようになった。

パウロの目から鱗のような物が落ちたように、まるで自分の目の前にあったフィルターが外されたようだった。

色を一つずつ取り戻して、いつも見ていた景色が、空が、木や草が輝いて見えた。

周りにいる人たちも愛おしく見え始めた。

神様が創造したもの全てに価値があるという意味がわかった気がした。

コロサイ1:18)なぜなら、万物は御子にあって造られたからです。天にあるもの、地にあるもの、見えるもの、また見えないもの、王座も主権も支配も権威も、すべて御子によって造られたのです。万物は、御子によって造られ、御子のために造られたのです。

でもクリスチャンになってイエスが心にいても、ずっと順調なわけではなく、世界がキラキラして見えない時もある。

失望と絶望の気持ちが長く続くと続くとまた世界がモノトーンになっていくことがある

私も最近まで、人生の試練の連続で、長らく無色の毎日を過ごしていた。

まるで長いトンネルの中にいるように先が見えなかった。

(箴言13:12)期待が長びくと心は病む。望みがかなうことは、いのちの木である。

これを読んでいるあなたも似たようなスランプに陥っていますか?

人生のパートナーが現れるのを待っているけど、ずっと現れなくて辛い

死別の悲しみから抜け出せない

持病と戦っていて、疲れてきた

今日もしあなたの世界がモノトーンであるのなら励ましたいです。

また少しずつ神様に色を足していってもらいませんか?

落ちている時、聖書を読む気にはならないかもしれないけど、神様の言葉は命で溢れていて、希望や励まし、たくさん詰まっています。

また真実で溢れているから、自分が気がつかない間に信じてしまっている嘘から目覚めることもできる。

そこから色が少しずつ戻ってくる。

それから、自分が興味あることや得意なことも神様が自分に与えてくれた個性だから、「やってみたい」と思ったことを一つずつやっていくのもいいよ。そこからまた少しずつ喜びが大きくなっていくから。

まずはほんの少しでも「やってみたいな」って思うことがあったら一歩を踏み出してみて。

また時にはやりたくないことに対して、断ることも大事。

聖書にも「はい」は「はい」、「いいえ」は「いいえ」でいうべきだと書いてあるから。

最後に、自分一人で抱え込むのではなく、信仰のある信頼できる人に打ち明けてみて。

話せる人がいる、祈ってくれる人がいるだけで、心がだいぶ楽になるから。

もし誰もいないという人は気軽にメッセージをください。あなたのために祈らせてください!

他にもイエスに出会ってかえられた人の話が知りたい人はぜひ下のチャンネルの動画を見てね!

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