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天職としての仕事 パート2 仕事に対する罪の影響

天職としての仕事シリーズ続きます!

仕事はただ単に、タスクをこなすものではなく、神様が天職を通して世界に違いをもたらすように使命を与えてくれている。

仕事はただ9時から5時までこなすものではなく、私たちの周りに貢献していくもの。
 
給与をもらうこと以上に大きなビジョンがある。
 
パート1では、創造の義務ということを話した。神様は私たちにこの世に違いをもたらすように創造し、送ってくれたこと。
 
今日は、罪の導入、罪によって神様が当初予定していたものよりも働くことが難しくなったことについてシェアします。
 
あなたは『罪』という言葉を聞いたときに何を連想する?
 
殺人? 邪悪なこと?
 
 
罪とは、神様以外のものを神様の代わりにしようとすること。
 
神様の代わりにしようとしているもの。
 
多くの場合、それは自分自身だったりする。
 
私が決定権を持ちたい。私が人生の運転席にいたい。でも、それが罪。
 
そして罪の結果が死と聖書にも書かれてある。
 
イエスは命を豊かに与えてきてくれたけど、罪は私たちを破壊や死へと導く。
 
 自分自身だけではなく、周りの人たちに影響を与えてしまう。
(創世記 3:17-20)
また、人に仰せられた。「あなたが、妻の声に聞き従い、食べてはならないとわたしが命じておいた木から食べたので、土地は、あなたのゆえにのろわれてしまった。あなたは、一生、苦しんで食を得なければならない。   土地は、あなたのために、いばらとあざみを生えさせ、あなたは、野の草を食べなければならない。   あなたは、顔に汗を流して糧を得、ついに、あなたは土に帰る。あなたはそこから取られたのだから。あなたはちりだから、ちりに帰らなければならない。」
神様が当初仕事を紹介した時、ビジョンで満ち溢れたものだった。
動物に名前をつけて、庭のお世話をして、世界を大きくする。
 
でも罪が入ってきて、苦痛で、難しくて、無意味な気持ちが出てきてしまった。
 
私たちの中で、職場に対してそういう思いの人がいると思う。頑張って働いていても無意味に感じてしまう。
 
疲労を感じている人。達成感のある仕事は良い疲れが出るけど、ただ単に、くたびれている人もいる。
 
でも、これは神様の計画ではない。罪によってそれが出てきてしまった。
 
 
また、罪によって関係が悪化するようになった。
 
アダムとエバも、罪によって、お互いに責任をなすりつける関係になった。彼らの息子も人類で記録された最初の殺人を犯した。
 
仕事をしながら、この仕事って誰のために、何のために頑張っているんだろう。意味があるのかな?と虚しくなったことはある?
 
クリスチャンであれば、神様のために頑張るという動機があるかもしれないけど、クリスチャンでも、無意味に感じてしまう誘惑もある。
仕事が偶像になることもある。
 
仕事を神の代わりにしてしまっている人。
 
仕事が自分の存在意義になってしまっている人。
 
仕事で成功していく中で、その誘惑は大きくなる。仕事がアイデンティティになってしまう人も多い。
 
私たちは自分が礼拝している神の姿に似ていく。
 
もし自分の全ての意識や意欲、全身全霊仕事に捧げるようになったら、私たち自身も仕事のようになっていく。
 
仕事は良い神ではない。恵み深い神ではなく、タスクの主人になる。
 
 
自分が礼拝するもののように姿が似てくる。それは、自分自身だけ影響されるのではなく、周りにもそれを反映するようになる。
 
アイドル(偶像)は安心感やうわべの幸せと引き換えにあなたを奴隷化し、おそれを与える。
 
あなたが神様を賛美するときに、内側を新しく自由にしてくれる。
 
イエスについていくと、光の方向に歩いていく。
 
ではどうやって罪を乗り越えることができるのか、このまま読み続けてほしい。
 

罪の乗り越え方

私たちの文化はアイデンティティの定義を変えようとしている。
 
世の中は、さまざまな世界観によって新しいアイデンティティを与えようとする。
 
しかし、クリスチャンのアイデンティティは神の子であること。 
 
仕事でもないし、私たちの欲求がアイデンティティではない。
(ローマ8:16−17)
 私たちが神の子どもであることは、御霊ご自身が、私たちの霊とともに、あかししてくださいます。  もし子どもであるなら、相続人でもあります。私たちがキリストと、栄光とをともに受けるために苦難をともにしているなら、私たちは神の相続人であり、キリストとの共同相続人であります。
私たちのアイデンティティは
神の子であること。
 
日本人である前に、神の子。男性や女性である前に私たちは神の子。
 
だから、自分の文化でも、聖書的価値観から外れていれば、神様の価値観を選ぶ。
 
たとえ世間的にみて普通ではなくても、例えば同調圧力で聖書に反することを強いられても神の国の価値観を優先する必要がある。 
 
あなたの過去がなんであれ、どんな家庭環境で育ったとしても、誰か何を言われても、神から愛されていることを知って、それを自分のアイデンティティの基盤にしよう。
 
あなたは自分のアイデンティティをわかってる?
 
これを知っておくことはとても大事。なぜなら、職場で昇進のため、またはお金のために神様の価値観に反することを勧めてきたら、あなたはそれを断ることができるかどうかは、自分のアイデンティティを理解しているかどうかで変わってくる。
 
では、どんな反応をするべき?
(ローマ12:1)
そういうわけですから、兄弟たち。私は、神のあわれみのゆえに、あなたがたにお願いします。あなたがたのからだを、神に受け入れられる、聖い、生きた供え物としてささげなさい。それこそ、あなたがたの霊的な礼拝です。
私たちが働いているとき、信仰を持っていくなら、いつも神様を賛美している。
 
神様があなたの仕事に価値があると言っているなら、仕事を無意味に思わなくなってくる。
罪を乗り越えるための実践的なステップ
 
1) イエスに近づくこと
罪を乗り越える一番効果的な方法はイエスに近づくこと。
 
なぜなら、最初の方に書いたように、私たちは自分が賛美する神の姿に似てくるから。
 
2)仕事や生活で境界線を設定する
職場で誘惑に合うことを想定すること。特に人間関係において。(不倫は職場で始まりやすいって知ってた?)
 
誘惑にあってから考えるのでは遅すぎる。
 
そういう状況に陥る前からしっかりと境界線を立てて、計画を立てる必要がある。
 
聖書では、罪が扉の前で飛び込んでくるのを待っていると書いてある。
 
どうやって罪を止めることができる?
 
それは扉を開かないこと。
 
閉じたままでいよう。
 
聖霊が優しくあなたに忠告してくれるから、耳を傾けて。
 
「そっちは危険。そこから離れて。その扉を開けないで!」
 
耳を傾ければ傾けるほど、神様の声は大きくなる。
 

3)告白と赦し

これについてもっと教会で話すことが大事だと思う。

(1ヨハネ1:7)
しかし、もし神が光の中におられるように、私たちも光の中を歩んでいるなら、私たちは互いに交わりを保ち、御子イエスの血はすべての罪から私たちをきよめます。
告白は、真実を言うこと。
 
自分に嘘をつくのをやめよう。
 
ことの深刻さに向き合わずに「たいしたことない」って誤魔化そうとするのではなく、真実のありのままの問題に向き合うこと。
 
「確かに罪を犯しました。助けが必要です。」
 
告白した途端に、心が軽くなるはず。
 
嘘をついたり、隠したりすると罪は風船のように膨らんでいくけど、告白すると、その膨らんだ風船が萎んでいくイメージ。
 
罪の力がとつぜん弱くなる。
 
罪に光が照らせれ、神様の力が働く。
 
誰に告白するべき?
 
まずは、神様。
 
それから信頼できる人。
 
悪魔はあなたに、誰かに話したらその人から軽蔑されるよと嘘を言ってくる。
 
でも、それは嘘。
 
成熟した人に話して、光を照らして、前に進もう。
 
秘密の罪から解放されよう。神様は告白すれば、赦してくれる。
 
あなたには神様の他に話せる人はいる?
 
もしいる場合はこれを読んでいる今日からでも、信頼できる人に話して、乗り越えられるように祈ってもらおう。
 
もし、いない場合はメッセージください。必ず返信します。あなたのために祈ります!
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