学校、仕事、恋愛、結婚、色々な人生の選択の場面で何を選べばいいのか迷うことはありませんか?
今日は聖書が「人生の選択」について何を言っているのか、旧約と新約聖書の聖句から見てみましょう。何か新しい視点やヒントが得られるかもしれません!
心を尽くして主に拠り頼め。自分の悟りにたよるな。 あなたの行く所どこにおいても、主を認めよ。そうすれば、主はあなたの道をまっすぐにされる。(箴言3:5−6)
わたしは、あなたがたに悟りを与え、行くべき道を教えよう。わたしはあなたがたに目を留めて助言を与えよう。(詩篇32:8)
あなたがたの会った試練はみな人の知らないものではありません。 神は真実な方ですから、あなたがたを、耐えられないほどの試練に会わせることはなさいません。 むしろ、耐えられるように、試練とともに脱出の道も備えてくださいます。(1コリント10:13)
もしも主に仕えることがあなたがたの気に入らないなら、川の向こうにいたあなたがたの先祖たちが仕えた神々でも、今あなたがたが住んでいる地のエモリ人の神々でも、あなたがたが仕えようと思うものを、どれでも、きょう選ぶがよい。私と私の家とは、主に仕える。」(ヨシュア24:15)
私は、きょう、あなたがたに対して天と地とを、証人に立てる。私は、いのちと死、祝福とのろいを、あなたの前に置く。あなたはいのちを選びなさい。あなたもあなたの子孫も生き、
あなたの神、主を愛し、御声に聞き従い、主にすがるためだ。(申命記30:19−20)
最後に、兄弟たち。すべての真実なこと、すべての誉れあること、すべての正しいこと、すべての清いこと、すべての愛すべきこと、すべての評判の良いこと、そのほか徳と言われること、称賛に値することがあるならば、そのようなことに心を留めなさい。(ピリピ4:8)
指導がないことによって民は倒れ、多くの助言者によって救いを得る。(箴言11:14)
だから、神の国とその義とをまず第一に求めなさい。そうすれば、それに加えて、これらのものはすべて与えられます。(マタイ6:33)
あなたがたの中に知恵の欠けた人がいるなら、その人は、だれにでも惜しげなく、とがめることなくお与えになる神に願いなさい。そうすればきっと与えられます。(ヤコブ1:5)
思い違いをしてはいけません。神は侮られるような方ではありません。人は種を蒔けば、その刈り取りもすることになります。
自分の肉のために蒔く者は、肉から滅びを刈り取り、御霊のために蒔く者は、御霊から永遠のいのちを刈り取るのです。(ガラテヤ5:6ー8)
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