今日の投稿で伝えたいことは、イエスに対する初めの頃の愛を思い出すこと、それから、神様はあなたが神様を愛するように強制しないと言うこと。
神様は自分を自動的に愛してくれるロボットのような人間を創造したわけではなく、あなたが神様を愛することを「選択」するようにしてくれた。その選択肢があって、初めて本物の愛が存在する。
まずはマルコの6章1節を読んでみよう。
(マルコ6:1ー6)
イエスはそこを去って、郷里に行かれた。弟子たちもついて行った。 安息日になったとき、会堂で教え始められた。それを聞いた多くの人々は驚いて言った。「この人は、こういうことをどこから得たのでしょう。この人に与えられた知恵や、この人の手で行われるこのような力あるわざは、いったい何でしょう。
この人は大工ではありませんか。マリヤの子で、ヤコブ、ヨセ、ユダ、シモンの兄弟ではありませんか。その妹たちも、私たちとここに住んでいるではありませんか。」こうして彼らはイエスにつまずいた。
イエスは彼らに言われた。「預言者が尊敬されないのは、自分の郷里、親族、家族の間だけです。」
それで、そこでは何一つ力あるわざを行うことができず、少数の病人に手を置いていやされただけであった。
イエスは彼らの不信仰に驚かれた。それからイエスは、近くの村々を教えて回られた。
イエスが活動していた時に病人はたくさんいた。
イエスはイエスによって癒されたいと心から求めていたハングリーな病人を癒していく中で、多くの病人の前を通り過ぎた。
イエスは自分をハングリーに求めて、名前を呼んだ人を全て癒した。みんなを癒したわけではない。
中にはイエスの存在を知りながら、イエスの助けを必要としない病人もいた。
逆にイエスに少しでも近づきたくて求めていた病人もいた。
このイエスの存在を知っているのに、求めなかった人たちのことを、「慣れから生まれた悲劇」だと思う。
あなたにとって親戚のような昔からの知り合いで、あなたを見るときに時が止まってしまっているような人はいる?
あなたが成長したり、変わってしまうと面白く思わない人たちが中にはいる。
「あなたのことを誰からも昔から知っているのに」
「変わっちゃったね」
慣れや親しみは時には私たちから大切なものをたくさん奪ってしまう。例えば、夫婦関係など。
神様に対して悪い意味で慣れてしまっている人もいる。神様を自分のキャパに合わせて見ている人。神様にこれは良いけど、これは触れないでと線を引いてしまっている人たち。そういう人たちは神様に対しても勝手に傷ついてしまっている。
誰かに対して気分を害する時って、相手のことを下に見ているとき。自分を棚あげている時。プライドから発生する。
ヘブル12章
そのためには、あなたがたはよく監督して、だれも神の恵みから落ちる者がないように、また、苦い根が芽を出して悩ましたり、これによって多くの人が汚されたりすることのないように、
傷ついた心は自分だけに留まらず、周りに悪影響を与えてしまう。
家族に悪い影響を与えてしまう。子供にも傷ついた心を受け継がせてしまう。神様に対して抉られてしまう。
あなたは神様を心から敬っている?それとも慣れてしまった?
もし自分の配偶者を上から見てたら、結婚生活はひどいものになる。
慣れはあなたの家族、結婚相手、神様の恵みから多くのものを奪ってしまう。
神様に何をすべきで何をすべきでないのか心で指図するのはやめよう。
マルコ14章3節にもっと良い話がある。
イエスがベタニヤで、ツァラアトに冒された人シモンの家におられたとき、食卓についておられると、ひとりの女が、純粋で、非常に高価なナルド油の入った石膏のつぼを持って来て、そのつぼを割り、イエスの頭に注いだ。
すると、何人かの者が憤慨して互いに言った。「何のために、香油をこんなにむだにしたのか。
この香油なら、三百デナリ以上に売れて、貧しい人たちに施しができたのに。」そうして、その女をきびしく責めた。
すると、イエスは言われた。「そのままにしておきなさい。なぜこの人を困らせるのですか。わたしのために、りっぱなことをしてくれたのです。
貧しい人たちは、いつもあなたがたといっしょにいます。それで、あなたがたがしたいときは、いつでも彼らに良いことをしてやれます。しかし、わたしは、いつもあなたがたといっしょにいるわけではありません。
この女は、自分にできることをしたのです。埋葬の用意にと、わたしのからだに、前もって油を塗ってくれたのです。
女性はイエスに対して、情熱的な心を持っていた。計算し尽くされた信仰ではなかった。
あなたは自分の情熱的な信仰を封じ込めて、知識に基づいた信仰を持ってる?
この女性のように、神様が自分の人生に何をしてくれたのか思い出してほしい。
どうやって神様はあなたを変えた?暗闇からどうやって救ってくれた?
神様の愛を初めて受け取った時の気持ちを覚えてる?
そういう情熱を神様が言ってる。「彼女を止めるな。彼女の情熱は良いものだから」
もし神様に対する情熱を失ってしまったなら、取り戻そう。
この女性の話は神様に対しての情熱的な愛の話。
今日、あなたにも情熱的な愛に戻るように励ましたい。
傷つきやすい人になるのではなくて、真っ直ぐな愛を神様に向けていた時の頃に戻ろう。
神様への情熱を奪うものって何か知ってる?
失望、対人関係のトラブル、傷つくこと。
誰にもあなたの勢いのある愛を、情熱を奪わせないで。
人や状況によって情熱の表現の仕方は変わるかもしれないけど、根底にある思いは同じ。
初めの愛を思い出して、期待を低くして現実的になるのではなくて、神様に対しての情熱を奮い立たせよう!
(ヨハネ黙示録2:)
「わたしは、あなたの行いとあなたの労苦と忍耐を知っている。また、あなたが、悪い者たちをがまんすることができず、使徒と自称しているが実はそうでない者たちをためして、その偽りを見抜いたことも知っている。
あなたはよく忍耐して、わたしの名のために耐え忍び、疲れたことがなかった。
しかし、あなたには非難すべきことがある。あなたは初めの愛から離れてしまった。
5 それで、あなたは、どこから落ちたかを思い出し、悔い改めて、初めの行いをしなさい。もしそうでなく、悔い改めることをしないならば、わたしは、あなたのところに行って、あなたの燭台をその置かれた所から取りはずしてしまおう。
どうでしたか?
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