※この話はYOUTUBEのJAPAN TESTIMONIESのツヨシさんの動画に基づいています。
ツヨシさんはペルーで生まれて3歳まで住んでいた。
日本に帰国してから、日本語がうまく話せず、理解もできていなかったので、友達もできず、先生とも意思疎通が上手にできなくて苦労した。
「なんで自分だけうまく話せないんだろう?僕はダメな子なんだなぁ。」とその時から性格がどんどん暗くなっていった。
日本語もスペイン語も中途半端で、心から人に心を開くことができなかった。
大学生の時にマレーシアに留学するプログラムに参加して、現地では友達もできて、本来の生き生きとした自分に戻ることができた。
「自分には海外の方が向いているから日本を出て海外に行こう。」と思うようになった。
そして日本に帰国した時に、同じゼミの女の子からインターナショナルチャーチに誘われた。
その時は教会に興味があると言うよりは海外の人と仲良くなりたい、将来のために英語を話したいから参加してみることにした。
その教会はみんなフレンドリーで、優しくて受け入れてくれた。なぜか居心地も良かったので、教会に行き続けようと思った。
しかし、もともと自分に自信がなくて、人との会話が苦手だったので、毎週通うのは勇気が必要だった。
それでも教会のみんなが持っているもの、自分も欲しいと思い、教会に通って聖書も少しずつ読み始めた。
最初は聖書を読んでいても、すぐには理解ができなかった。
ある日聖書を読んでいた時にある箇所が心に響いて、とても印象的だった。
その響いた箇所がローマ人の手紙の5章の3節から5節だった。
「そればかりではなく、患難さえも喜んでいます。それは、患難が忍耐を生み出し、 忍耐が練られた品性を生み出し、練られた品性が希望を生み出すと知っているからです。 この希望は失望に終わることがありません。なぜなら、私たちに与えられた聖霊によって、神の愛が私たちの心に注がれているからです。」
まるで、自分の人生のことを語られているようだった。
今まで耐えることが多かった人生で、なんで?って思っていたけど、この聖書箇所を読んで「なるほど」と思うことができた。
忍耐を持つことで鍛えられて、希望まで与えられる。
自分たち一人ひとりに聖霊が与えられて、その聖霊を通して神様が愛を伝えてくれている。
「神様に語られるってどういうことだろう?」
といつも思っていたけど、自分にとってこの箇所を読んだ時が初めて神様から悩んでいたことの答えを受け取った時だった。
そこから聖書を読んでジャーナルすることが楽しくなり、聖書から自分にとって必要な言葉をもっと神様から受け取れるようになった。人から話聞くのと、自分が経験するのとは全く違うことを体感することができた。
そして、洗礼も受けて、教会でも身構えずに自然体でいることができるようになった。
ある日、教会で通訳をする機会が与えられたので、引き受けてみた。今までの自分だったらありえないことだった。
そういう一つ一つの積み重ねから少しずつ変わることができて、気がついたら笑顔も増えて、友達もたくさんできて、彼女もできた!
これを読んでいる人に伝えたいことは、イエスを信じて、まずは教会に行ってみて、少しずつでいいから、イエスとつながることを実践してみてほしいと言うこと。
きっとあなたも変われるはず!