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人と比べちゃう:そんな時の聖書の言葉

「あの人と比べて可愛くないし・・・」

「あの人は明るくて前向きなんでなんで私はネガティブなんだろう?」

「あの人たちの家は広くて羨ましい」

「私はこの人たちと比べてキラキラしていない」

誰かと自分を比べてしまうことはある?

SNSの普及で必要以上に劣等感やコンプレックスを抱いてしまう機会が増えてきている気がする。

人と比較してしまうことは大なり小なり多くの人がしてしまっていること。

そこから怒り、悲しみ、不安、嫉妬など負の感情が生まれやすい。

神様はあなたに与えた個性や人生の計画があるから、他の人と比べてしまっていたら、勿体無いよね。

頭ではわかっていても難しい・・・

そんなあなたに今日は人と比べてしまう時に読むべき聖書の言葉をいくつかシェアします!

 

ひとりびとり、自分の行いを検討してみるがよい。そうすれば、自分だけには誇ることができても、ほかの人には誇れなくなるであろう。
 人はそれぞれ、自分自身の重荷を負うべきである。(ガラテヤ6:4−5)

私たちは、自己推薦をしているような人たちの中のだれかと自分を同列に置いたり、比較したりしようなどとは思いません。しかし、彼らが自分たちの間で自分を量ったり、比較したりしているのは、知恵のないことなのです。(2コリント10:12)

また、私たちが命じたように、落ち着いた生活をすることを志し、自分の仕事に身を入れ、自分の手で働きなさい。外の人々に対してもりっぱにふるまうことができ、また乏しいことがないようにするためです。(2テサロニケ4:11−12)

ねたみや敵対心のあるところには、秩序の乱れや、あらゆる邪悪な行いがあるからです。あなたがたは、まだ肉に属しているからです。あなたがたの間にねたみや争いがあることからすれば、あなたがたは肉に属しているのではありませんか。そして、ただの人のように歩んでいるのではありませんか。(1コリント3:3)

何事でも自己中心や虚栄からすることなく、へりくだって、互いに人を自分よりもすぐれた者と思いなさい。(ピリピ2:3)

いま私は人に取り入ろうとしているのでしょうか。いや。神に、でしょう。あるいはまた、人の歓心を買おうと努めているのでしょうか。もし私がいまなお人の歓心を買おうとするようなら、私はキリストのしもべとは言えません。(ガラテヤ1:10)

しかし、満ち足りる心を伴う敬虔こそ、大きな利益を受ける道です。私たちは何一つこの世に持って来なかったし、また何一つ持って出ることもできません。 衣食があれば、それで満足すべきです。(1テモテ6:6−8)

主は私の羊飼い。私は、乏しいことがありません。(詩篇23:1)

 

誇る者は、主を誇りなさい。(2コリント10:17)

私がキリストを見ならっているように、あなたがたも私を見ならってください。(1コリント11:1)

最後に、兄弟たち。すべての真実なこと、すべての誉れあること、すべての正しいこと、すべての清いこと、すべての愛すべきこと、すべての評判の良いこと、そのほか徳と言われること、称賛に値することがあるならば、そのようなことに心を留めなさい。(ピリピ4:8)

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